名護屋城前田利家陣跡で巨大な堀を発見!11月23-24日の名護屋城大茶会で一般公開。

名護屋城前田利家陣跡の最近の発掘調査で、その堀の規模が非常に大きいことが明らかになり、専門家の間で注目されています。
今回の発見は、2025年11月23日と24日に開かれる「名護屋城大茶会」イベントの中で一般公開されるということです。
名護屋城大茶会のイベントはこちらをご参照ください。
巨大な堀の規模
幅: 約20メートル
長さ: 約400メートル
深さ: 4メートルから5メートル
この規模は、姫路城の堀の平均幅と同規模とされ、名護屋城周辺に築かれた約160の陣の中で最大級です。
特徴と重要性
「陣というよりまるで城」: その規模の大きさから、専門家からは「陣というよりまるで城」という声もあがっています。
枡形土橋: 堀の内側と外側をつなぐ「枡形土橋」とみられる構造も見つかっています。
権力の象徴: 居館の入り口にあたる場所には、城郭の入り口などに使われる巨大な鏡石が多く使用されていたことも判明しており、これらは当時の前田利家の権勢の大きさを示す貴重な発見とされています。
前田利家は豊臣政権の五大老の一人であり、その力の大きさが陣の構造にも現れていると言えます。
巨大な堀以外の前田利家陣跡の特徴
巨大な堀の存在からも分かるように、この陣跡は単なる野営地ではなく、近世城郭に匹敵する、当時の最高水準の技術と権力を投入した構造物であったことが最大の特徴です。
権勢を示す主要な特徴
1. 巨大な鏡石の使用
場所: 居館の入り口にあたる場所
構造: 高さ1メートルもの巨大な鏡石が多用されていました。
意味: 鏡石は、城郭の入り口である虎口(こぐち)や石垣の隅角部などに使われる大きな石で、権力や威厳の象徴です。名護屋城博物館では、これを前田利家が豊臣政権下でいかに大きな権勢を誇っていたかを示す証と見ています。
2. 最先端の石垣技術
技術: 石垣には、矢で割った割石(わりいし)を多用する先進的な造りが見られます。
意味: これは、当時の築城技術の中でも最先端のものであり、利家が持つ経済力と技術力を反映しています。
3. 陣屋の二重構造(山上の曲輪群と山裾の居館部分)
前田利家陣跡は、大きく二つのエリアに分かれて構成されています。
山上の曲輪群: 防衛や見張りのための空間。
山裾の居館部分(「館部」): 日常生活や政務を行うための重要な空間。
この「館部」に入るための入口には、高さ6メートルの石垣からなる内枡形(うちますがた)の虎口が設けられていました。これも城郭の防御機構であり、陣屋のレベルを超えた構造です。
4. 最大級の規模と格式の高さ
規模: 陣跡全体は、約10万平方メートルにも及び、名護屋城周辺の約160の陣の中で最大級の大きさを誇ります。
外交施設としての役割: 利家は、徳川家康と共に文禄2年(1593年)に名護屋を訪れた明の使節の接待役を務めています。そのことから、この陣跡は豊臣政権の外交施設としての役割も担っており、その格式の高さも構造に現れていたと考えられます。
前田利家陣跡は、当時の大名の権力や築城技術を知る上で、非常に貴重な史料を提供していると言えます。
前田利家陣跡のアクセスは
道の駅桃山天下市の第2駐車場から歩いてすぐの場所になります。
画像では、駐車場の奥に見えており、名護屋城跡周遊サイン(写真参照)の右側から歩道を歩いて行けます。

